ここ数年、お葬式は ギュッと短く、1日葬・家族葬が当たり前になりました。だからこそ、喪主の挨拶が “式の記憶” そのものになりました。
昔は「立派な言い回し」が正解とされてきました。でも、今、心に刺さるのは——短く、具体的で・・・あなたの言葉。
形式は最小限でいい。そして 感情は最大限でいい。本日は まさに 変わってきた 喪主の挨拶の 最新の実例を、そのまま読める形でお渡しします。
ご葬儀に行く前にでも 間に合いますので 、ちょっと 聴いてみてください。

「喪主の挨拶」と聞くと——形式、文例、マナーに縛られ、緊張するものだと思われがちです。頭が真っ白になった方‥いらっしゃいませんか?
でも、ここ数年前から 葬儀会場で 本当に響いているのは、完璧な言い回しではありません。もっとわかりやすく言うと *たった一分の あなたの言葉*なんです。
もちろん、定型的な構成 ①参列者への御礼 ②故人との関係 ③エピソード ④結びの挨拶 などは存在します。しかし 近年では お葬式の現場で見ていても、変わったなーという印象があります。提携・文例に 重きをおく必要がない、定型を守ること自体には、もう価値はないと考える人が多くなったと思うのです。
価値があるのは、故人への偽りのない愛と 参列者への 心からのまっすぐな感謝を、あなた自身の声・言葉で置いていくこと。
それは 形式・マナー・マニュアルを超えているんです。それは どのようなものなのか…最新の喪主の挨拶の実例を 感情が溢れ出た、シンプルで心に響く挨拶の実例トークを ご紹介していきます。
旅立った両親へ(喪主・長男)
場面は 家族葬‥高齢で最初に母、そして数ヶ月後に父が逝き 相次いで亡くなった 両親を見送る。両親は生前 常に仲が良かった。
⚫️実例トーク
喪主(長男): 『皆さま、本日はご参列いただき、ありがとうございます。 父と母は、何をするにも一緒の二人でした。散歩、買い物、テニスに畑仕事…。どこに行くにも一緒でした。今回、母が旅立った後、すぐに父も母を追うように逝きました。 ああ、やっぱり一緒に行くんだなと、妙に納得した自分がいました。父は、私たちを育てるために、朝から晩まで働いていました。楽している姿を見たことはありません。愛する人を守るということを、その背中が教えてくれました。父は、母が病をえてから 20年近く介護を続けました。愛に出会い、愛を信じ、愛に破れて、愛を憎み、愛で許し、また愛を知る。まさしく そんな両親でした。二人とも、多くの方に支えられて人生を全うできました。感謝に堪えません。 今、残された私たち家族は、二人との思い出を胸に、互いに支え合って生きていきます。今後とも変わらぬ ご厚誼(ごこうぎ)を お願いいたします。本日は誠にありがとうございました』

22年間生きた娘へ(喪主・父)
(場面:告別式。喪主である父は、病で若くして亡くなった22歳の娘の旅立ちを 見送っている。)
喪主(父): (涙をこらえきれず、時折言葉に詰まりながら)
『本日は、お忙しい中、こんなにたくさんの皆さんにお集まりいただき、心より御礼申し上げます。私は、故、A子の父、◯◯でございます。 娘のA子は、22年間という短い一生を閉じることとなりました。(感情を込めて、娘に語りかけるように)
A子、君の手をずっと握っていたよ。君はいつも私に教えてくれたね。「ママと行きたいところ、たくさんあるよ」って。 君はいつも、周囲を思いやる心を持った 優しい子でした。仕事にも懸命に取り組み、友人関係も充実していた。短いけれど、本当に一生懸命歩んだ人生だったと思います。
(涙を拭い、決意を込めて)
君がいないと、ママがやっていけないかもしれない。ずっと二人だけだったから、寂しすぎるかもしれない。
ママは 病気だと分かった時に 「この子を守り続ける‥」とパパに言ってきた。君をを失った今、A子がいたから 私たちは幸せだったとわかるよ・・・いまだにA子が逝去したという事実を 受け入れることができません。しかしながら これからは、どこかでA子が 私たちを見守ってくれていると信じ、前を向いて生きてまいります。』

母の最後の願い 「暗いお葬式にはしないで」
葬儀の場は、悲しみと涙で満たされるのが自然です。しかし、中には「暗い雰囲気にしてほしくない」と、強く願いを残して旅立つ方もいらっしゃいます。
これは、病と懸命に闘い続けた一人の女性と、彼女の願いを実現しようとした家族の物語です。
告別式 喪主の挨拶(夫)
場面は明るい花で飾られた祭壇の前。喪主はメモを手に立ち、時折声を詰まらせる。
(場面:告別式、出棺前。喪主である夫は、棺のそばに立っている。妻の闘病生活が長かったという設定)
喪主(夫):『 皆さん、本当にありがとうございます。ただいまをもって、B子を、お棺に納めました。
(深呼吸)
B子、見えてるかい。君が「きれいでしょ」と笑っていたあの花を、今日はみんなで束ねたよ。6年間、よく闘ったね。弱音を吐かず、最後まで。この10月で結婚35年——本当は、そこまで一緒に行きたかった。
(参列者の方々を見つめる)
妻は、明るい人でした。だから今日、会場をこうして明るくしたのには理由があります。病室で、彼女がふっと言ったんです。「暗いお葬式にはしないで」 と。その一言で、家族は決めました。
“葬式らしさ”より、B子らしさで送ろう、と‥「暗い雰囲気のはやめよう」と子供達と決めました。好きだった花、好きだった音楽、好きだった色。ここにある明るさが、B子の最後の願いです。せっかくこんなに温かな場を整えたのに、私たちが沈んでばかりでは、きっとB子が「ちょっと違うよ」と笑います。だから私たちは、明るく、私たちらしく見送ります。
(参列者の方々を見つめる)
妻は、明るい人でした。だから今日、会場をこうして明るくしたのには理由があります。病室で、彼女がふっと言ったんです。「暗いお葬式にはしないで」 と。その一言で、家族は決めました。
“葬式らしさ”より、B子らしさで送ろう、と‥「暗い雰囲気のはやめよう」と子供達と決めました。好きだった花、好きだった音楽、好きだった色。ここにある明るさが、B子の最後の願いです。せっかくこんなに温かな場を整えたのに、私たちが沈んでばかりでは、きっとB子が「ちょっと違うよ」と笑います。だから私たちは、明るく、私たちらしく見送ります。

まとめ
(参列者の方々を見つめる)
妻は、明るい人でした。だから今日、会場をこうして明るくしたのには理由があります。病室で、彼女がふっと言ったんです。「暗いお葬式にはしないで」 と。その一言で、家族は決めました。
“葬式らしさ”より、B子らしさで送ろう、と‥「暗い雰囲気のはやめよう」と子供達と決めました。好きだった花、好きだった音楽、好きだった色。ここにある明るさが、B子の最後の願いです。せっかくこんなに温かな場を整えたのに、私たちが沈んでばかりでは、きっとB子が「ちょっと違うよ」と笑います。だから私たちは、明るく、私たちらしく見送ります。

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