死を前にした人に対して「頑張って」「きっと治るよ」「死なないで」といった安易な励ましは・・・通じません。
以前、こんな話を聞いたことがありました。同僚の30代男性でお父様が60代、末期がんで余命1ヶ月と医者から告げられ、悲嘆にくれてお見舞いにいったら、痩せ細り衰弱しきった父を目の前にして、何か言ってあげたいのだが、かける言葉が見当たらない、、、むしろ言葉が出なかった・・・何も言えなかった・・・と伺いました。
大切な人との別れが近づいた時、伝えたい事は沢山あっても、実際に何を言っていいのかわからない場合があると思います。感情が高まっている時、言葉を失うのは当たり前のことです。
皆さんは、大切な人が、末期癌や治らない病気で余命を告げられ、最期の状況の時、お見舞いに行ったり、または看取りをされている時に、辛くなる思いをした経験はありませんか?しんどい気持ちになったことはありませんか?
死を前にした人に対しては「頑張って」といった安易な励ましは全然通じません。どんなに明るく言い、その場を取り繕っても、苦しむ人の助けには全くなりません。
むしろそんな励ましの言葉なら要らないのです。ではどうすればいいのでしょうか?考えていきましょう。
1、自分の「辛いから、悲しみたくないから」という気持ちを乗り越える
自分自身の「辛く悲しい思いをしたくない」という気持ちとは 一体どんな気持ちでしょうか・・・・と思った方多いと思います。
ある女性の話ですが、乳がんの手術後、肺への転移で 持ってもあと3ヶ月と言われた70代女性とその家族の話です。病院から余命宣告があり、行える治療が無いと言われ、病院に居ても本人にとって何も良い事はない
お母様は「痛みから解放されたい」「これ以上苦しみたくない」という気持ちでいて、死を覚悟されているように見える旨をお伝えし、双方の希望を伺ったところ、
お母様は「家に帰りたい。最期は家で死にたい。」と言われ、ご家族のご子息は告知を受け入れていると言いながらも、「お母さんには1日でも長く生きて頑張って欲しい、そして病院には、出来るだけのことをして欲しい」と訴えていらっしゃいました。
本人と家族、それぞれの想い・希望にズレがあるケースが意外にも多いのです。医療関係者の話によると、少し厳しい言い方をすると家族は自分達が悲しみたくないのです。辛い思いをしたくないのではないでしょうか、、、というんです。
その結果、家族が自分たちの想いを優先させることで、死にゆく人の気持ちに寄り添えないケースを多く目の当たりにしている、、、というのです。
お母さまは、死と向き合っているお母様の気持ちを出来るだけ理解して欲しいのです。そんな思いに寄り添ってあげることが、1番の支えになると言うのです。お母様の気持ちを分かってあげることが、最大の励ましになると言うのです。
2、死にゆく人の気持ちは一体どんなもの?
人生の最期が近いことを知った人は、家族や周囲の人に「なぜ私が、命を落とさなければならないの?」「どうせ長くはないのだから、生きていても仕方がないよね?」などの苦しい問いを投げかけることがあります。
そんなとき、あなたなら何と答えますか?
適切な言葉を見つけるのはかなり困難です。ここで、そもそも人の苦しみとは何でしょうか?医者の話によると、苦しみには解決できるものと、できないものがあり、苦しみとは、希望と現実とのギャップがある状態とのことだそうです。
余命2ヶ月と言われている人に、2年後の孫の小学校入学まで生きていたいと苦しみを打ち明けられても、希望と現実の開きは埋められないのです。本当に解決のしようがないのです。
死を前にした多くの人が向き合っていくことは、”私”を失っていく苦しみです。
昔は孫の成長を見守る私、職場で頼りにされる働き者の私、趣味のダンスに打ち込んでいた私、友だちとの食事を楽しむ私…。それこそが私だったはずなのに、できないことがどんどん増えて、人の役にも立てなくなっていく”私”を失った自分に、もう価値はないのではないか?。そう感じて、苦しくなるのです。解決できない苦しみがある人にこそ、その苦しみを抱えながら穏やかに生きられるような支えが必要だと言うのです。人生の最期が近づくと、想像を越えた苦しみを抱えるかもしれない。
しかし、たとえ苦しみの中にあっても、支えによって喜びや楽しみを見いだせば、穏やかに生きられるはず。
その人にとっての支えは何なんでしょうか?
患者さんに苦しかったことを伺うと、「抗がん剤を使った治療がしんどく大変だった」「体が動かなくなって一人でトイレにも行けないのが辛かった」「死ぬことの怖さ」といったお話を聞かせていただき
そのうえでさらに「そんな苦しみの中で、心の支えになっているものはありますか?」と尋ねてみたところ 元気で健康なときには気づけなかった、「夫や家族の優しさが支えになっている」「孫にランドセルを買ってあげたいという願いが私の支え」といった言葉が出てきて、これこそが、苦しさを和らげ 穏やかさをもたらす支えなのだというのです。
3、こんな言葉がけをしよう
篤状態にある人に言葉をかけるのは、そばにいることを伝えて安心してもらうためです。一説によると、危篤状態にあっても耳は最後まで聞こえると言われています。たとえ反応がなくても、家族がそばに寄り添っていてくれる気配を感じると安心でき、死への恐怖や孤独感がやわらぐと言われています。
もし胸が詰まって言葉が出てこないなら、無理に何か言おうとしなくて構いません。代わりに手を握って寄り添うだけで十分です。それでは言葉がけです。
お父さん、会いに来ましたよ
お母さん、〇〇だよ、ここにいるよ
△△ちゃん(孫)も来てるよ
お母さん、最期まで一緒にいるよ
そばにいるから安心してね
子どもの頃に連れて行ってくれた遊園地のこと、今でも思い出すよ
おかあさんの子どもで本当に良かった。ありがとう
照れくさくて言えなかったけれど、いつも見守ってくれていてありがとう
辛いときにいつも相談に乗ってくれてありがとう
4、本日のまとめ
死は人生の集大成です。そして、その瞬間を迎えるための準備は、終活や葬儀の手配といった現実的な問題の処理だけではありません。むしろ、死に向かうその時間こそが、人生を振り返り、親しい人々と心を通わせる、かけがえのない機会なのです。この貴重な時間を逃さないために、次の2つのことをぜひ心に留めてください。
まず、「人はいつか必ず死ぬ」という避けられない事実と真摯に向き合い、その現実から目を背けない勇気を持つこと。そして、「悲しみたくない」「辛い気持ちになりたくない」といった自分の感情を乗り越え、死に向き合っている本人の心に寄り添うことが大切です。本人が今どのように感じているのか、まるでその人自身になったかのように深く理解しようと努めてください。
「がんばって」「死なないで」といった言葉は、本人にとって重荷となることがあります。代わりに、「私は最期まであなたと共にいる」という思いを伝え、徹底的に死にゆく人の気持ちに寄り添って支えになってあげてください。
そのような最後の看取りの時間、そしてそこで生まれる深い絆は、残された人の心に永遠に残り続けます。そして、その体験は、ただの思い出にとどまらず、自分自身の「死」と向き合い、今をどう生きるかを見つめ直すきっかけにもなるのです。