江戸時代、日本には厳格な法律があり、さまざまな処罰が行われていました。中でも処刑は、現代では考えられないような残酷な方法が使われ、人々の秩序を保つための見せしめとしても機能していたのです。本日は江戸時代に実際に行われた5つの処刑方法について詳しく解説していきます。
目 次
- 江戸時代の法と処刑の背景
- 処刑方法1 – 斬首(ざんしゅ)
- 処刑方法2 – 磔(はりつけ)
- 処刑方法3 – 火刑(かけい)
- 処刑方法4 – 磔獄門(ごくもん)
- 処刑方法5 – 鋸挽き(のこぎりびき)
- まとめ
江戸時代の法と処刑の背景
江戸時代は、約260年続いた長い平和の時代でした。この時期、社会の秩序を保つため、幕府は厳しい法の下で人々を管理しました。特に罪を犯した者に対しては、処刑による厳しい罰が課せられることも少なくありませんでした。
処刑は人々の前で公開され、罪の重さや内容に応じて方法が異なりました。こうした処刑は見せしめとしての役割も果たし、人々に法の恐ろしさを知らしめたのです。
処刑方法1 – 斬首(ざんしゅ)
最も一般的に行われた処刑が「斬首」です。文字通り、罪人の首を刀で落とす方法で、特に武士や重罪を犯した者に対して行われました。
斬首は、相手に瞬間的な死を与える処刑方法とされ、幕府から「武士の名誉を守るための処刑」と見なされることもありました。罪人は正座させられた状態で背後から首を斬られ、多くの場合、その瞬間は公開されていました。斬首は「迅速な死」を与える一方で、その場の人々に「罪を犯せば命を落とす」という強いメッセージを伝えたのです。
斬首は、必ずしも一回で首を落とせたわけではありません。首を落とすには相当な技術と力が必要で、処刑人が十分に訓練されていない場合や、刀の切れ味が悪い場合は、複数回斬る必要があったといわれています。
- 技術的な難しさ
首の骨や筋肉を一度で切断するには非常に高い技術が必要です。刀が骨に当たって止まることもあり、経験不足の処刑人や腕力が足りない場合は、一度で首を完全に切り落とせないことも多かったとされています。 - 刀の切れ味
処刑に用いる刀の手入れが不十分だと、一回の斬撃で首を落としきれないこともあり 特に多くの処刑が続くと、刀が使い古されて切れ味が悪くなる場合もあったといいます。 - 罪人の動き
斬首される罪人が恐怖で動いたり、筋肉が緊張していたりすると、処刑がより難しくなったようで緊張で首の筋肉が硬直していたりすると、刀の通りが悪くなり、数回にわたって切りつけなければならないことにつながりました。
処刑人には高度な訓練が求められ、熟練の者であればできるだけ苦痛を与えず一度で斬り落とすことが理想とされました。しかし、必ずしも一回で終わらない場合も多かったため、罪人にとっては非常に過酷な処刑方法だったといえます。
処刑方法2 – 磔(はりつけ)
この処刑方法は、罪人を木の柱や十字架に縛りつけ、槍で突くという方法です。罪人の苦痛を長引かせることで見せしめの意味合いが強かったとされ 死に至るまで数時間かかることが一般的で、状況や処刑の進行方法によっては半日近く苦しむ場合もあったとされています。
磔は公開の場で行われ、人々の目に罪人の最期を焼き付けました。また、磔にされた罪人の遺体は、一定期間そのまま晒されることもあり、人々に犯罪抑止の効果を狙った処罰でした。
- 槍での刺突 罪人を十字架や木の柱に縛りつけた状態で槍で突き、出血させることで徐々に死に追いやりました。槍を刺す部位は急所を避けるようにされることが多く、わざと即死させないようにして、苦しみを長引かせる場合もありました。
- 出血多量と苦痛による衰弱
複数の部位を刺されるため、出血多量によるショックや衰弱が主な死因となりました。刺される箇所が増えると血が流れ、体力も低下していくため、苦痛と出血により数時間後に力尽きて死亡することが多かったと考えられています。
③天候や温度など環境の影響
夏場などの暑い時期や冬場の寒い時期では、環境的な影響で体力が奪われ、死に至る時間が短縮されたともいわれています。逆に、適度な気温で体力が温存されると、より長い時間をかけて苦しむことになったこともあるでしょう。
処刑方法3 – 火刑(かけい)
放火犯など特に重大な犯罪を犯した者に課せられる過酷な処刑方法でした。罪人は杭に縛りつけられ、足元から火がつけられます。炎が上がるにつれて罪人の体が焼かれていく様子が公開されるのです。
火刑は、見物に集まった人々に対しても強いインパクトを与え「火を使った罪には火で償わせる」という考え方で決して即死する処刑方法ではなく、罪人は数分間にわたって火傷や煙による窒息といった激しい苦痛に苦しむことが多く 燃料の種類や火の回り方によって最も早い場合でも窒息まで数分を要し、ゆっくり燃やされる場合にはさらに長い苦しみが伴いました。直接の火傷よりも煙を吸い込んで窒息死するケースが多かったようです。
処刑方法4 – 磔獄門(ごくもん)
「磔獄門」は、江戸時代の中でも特に恐れられた処刑方法です。まず、罪人の首を斬り、その後、首を木枠に取り付けて公開するというものです。これは主に反乱者や重罪犯に適用されました。
罪人の首は人目に付きやすい辻や橋の近くに晒され、一定期間その場に置かれました。人々は日常生活の中でこれを見ることで、犯罪の代償を認識し、「幕府に逆らえば命を失う」という恐怖を植え付けられていました。
処刑方法5 – 鋸挽き(のこぎりびき)
最後にご紹介するのは、極悪犯罪者に適用される「鋸挽き」です。この処刑方法では、罪人を鋸で挽き、苦しみを長引かせながら死を与えるというもので最も苦痛を伴う処刑の一つであり、見せしめの意図が非常に強かったとされています。
罪人を逆さ吊りにした状態で、体の中央部(股のあたり)から入れられ、上下に挽く形で少しずつ切断されていきました。これにより、処刑の進行がゆっくりと行われ、罪人が死に至るまでの時間をかけて苦痛を与えることができました。最終的には主要な臓器や血管が切断されて絶命に至りますが、その過程で意識が保たれていた可能性が高く、非常に残虐な方法といえます。
鋸挽きは残酷さゆえに稀なケースでしか行われなかったものの、犯罪者に対して厳しい罰を与える手段として認識されていました。
まとめ
江戸時代の処刑方法は、現在から見ると非常に残酷で非人道的に思えますが、当時は治安維持のために必要とされていました。幕府はこうした処刑を通じて法と秩序を維持しようとしたのです。このように、日本の歴史には厳しい処罰があり、それが人々にどのような影響を与えたのかを知ることで、現代の法制度や人権意識の大切さも見えてきます。歴史の一面を感じ取っていただけたのなら幸いです。