本日は、私たちが日常で抱える「死ぬのが怖い・死の恐怖」について考えてみたいと思います。
何年か前、妻をガンで亡くされた方のご葬儀を担当しました。そのご主人から、相談を受けました。大切な人が亡くなることの実感、心の揺れ、無気力感、そして自分も死にたい、と伺いました。死は誰にでも訪れる自然な出来事ですが、ガンに罹患し、死の可能性を直面すると、その恐怖は言葉で表現しにくいほどのものです。私たち葬儀社は多くの死を見送り、その責任と向き合う立場にあります。また、僧侶からの深い教えを受ける機会も多く、そうした経験から、死に対してどのように心の平穏と満足を感じるか、共に考えてみましょう。
本日はデリケートなテーマですが、「死ぬのが怖い」という感情に焦点を当てて、その恐怖を前提に物事にどう向き合うかについてお話ししたいと思います
私たちは生まれると同時に、いつかは死と向き合うことを覚悟しなければなりません。ですが、大切なのは「死」そのものではなく、今を生きること、その中で達成するべきことにフォーカスすることです。何千年も前に書かれた小説や和歌にも、死を前にした人々の不安や心情が記されています。お釈迦様の言葉にもある通り、死への恐怖は時代や国を超えて共通するものであり、私たちの心の奥深くに根付いているのです。
本願寺8代蓮如上人の亡くなる前の、お手紙での一節。『人間の一生は稲妻や朝露のようにはかなく、夢幻の間の楽しみである・・・』
私たちがいよいよ死ぬときには、かねて当てにしていた妻子も財産も一つも我が身に付き添うものはない…と悲しむ一節でした。
天下を統一し関白、太政大臣にも叙せられるなど栄華を極めた、豊臣秀吉がこの世を去る前に残した和歌は 『露と落ち 露と消えにし我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢』
と、露のように消えたはかない我が身であったことよ。大阪での栄華の日々は夢のようなものだった…と、これも悲しい歌でした。
最後に、源氏物語の主人公、光源氏の母である桐壺が、三歳の幼子であった光源氏を遺し、病でこの世を旅立つときに遺した歌です。
『かぎりとて 別るる道の 悲しきに いかまほしきは 命なりけり』
今日を限りと死出の山路に赴かねばならぬとは・・・。私がいきたかったのは命ある道です。生きたい。生きていたい。悲しみの中で気づきました・・・と書いてありました。
最後に、ある住職の法話を紹介させていただきます。「死」は決して悪いことではなく、私たちが一度きりの人生をどう生きるかが重要なのです。限りある時間の中で、自分自身を大切にし、感謝の心を持ちながら、自分のやるべきことに全力を尽くしましょうと言っています。死を意識しながらも、今を生きることこそが真の意味での満足と平穏をもたらすと教えてくださいました。感動する法話でしたのでご紹介します。
《 ”死”とは 死を通して周りの者を導く人生最後の授業 》
生きている…ということは 死ぬいのちをかかえている… ということ。
亡き人が、その身をもって ”生きていることの、ただごとではない底深さ、 根深さ”を教えてくださっている。
日頃、”死”をないもののようにし、”生”を当たり前のように過ごしている私たちに、
いのちは儚く、いずれ消えてしまう…ということを教えてくれています。
そのいのちが消えるまで、 私たちは色々ないのちの恵みによって生かされ、そのおかげをいただいている。感謝の心を持ち、自分の生命の大切さを知らねばなりません。亡き人が命を賭(と)して与えてくださっていることは、人生は一度きりで、自分の生命は 自分に与えられた時間とも言えます。限りある生命だからこそ尊厳があり、自他の生命を大切にし、今の自分の役割において、毎日を生き生きと暮らさないと、もったいないと思えるのではないでしょうか…。
家族や身近な人の死を通じて、自分自身の命の有限性を実感する瞬間が訪れることがあります。この経験を通じて、我々は自分の人生を見つめ直し、今を大切に生きる喜びを再発見することができます。そのためには、後悔することのないように、今の自分の役割や使命に全力を尽くすことが大切です。死への恐怖は、実際には「達成できなかったこと」や「後悔すること」への不安から生じるものかもしれません。
我々は死への恐怖を取り除くことはできませんが、その恐怖に立ち向かう方法を見つけることは可能です。死と向き合い、今日生きることの大切さを認識し、自分の役割を全うすることで、恐怖心を和らげることができるでしょう。
家族や身近な人の死を感じると、自分のこととして考えるようになる、自分の命の有限性に、気づき 感情が揺れているのです。身近な人の死に触れて、悼んでいる・・・実は、、自分が死ぬのが怖いんです。死ぬことは悲しいことではなく、忌み嫌うことでもないんです。自然なことで、必ず訪れることなのです。死ぬことは自然な姿です。
それでは、大事なことは何でしょうか?・・・・
死ぬことではないんです。生きること 今を生きること。 今どう生きるか、ということだと住職は言っているのです。
いつか、あなたに死が訪れる時
恐れることは、死そのものではなくで、今までちゃんと なすべきことをしないで生きてきた。
自分がやるべきことを精一杯してこなかった、
人間は、そこに恐れるのではないでしょうか。後悔するのではないでしょうか。
自分の命の有限性を 近しい人が見せてくれているんです、そして、その死が、いよいよ、あなたに迫ってきた時に、まさに、あなたは、最後の最後になって、今まで、どう生きてきたのか?そこが大きく自分にのしかかかってきます。
恐れることは何か?
もうおわかりですね。。。
死ぬことではないのです。
とお話しくださいました。イイお話しでした。・・・こちらの動画ヴァージョンは⬇️You Tubeでご覧ください。