葬儀の仕事をしていると、時に“説明のつかない現象”に出くわすことがあります。
誰もいないはずなのに 物が落ちる音、見えないが この部屋に 誰かが居る氷ついた空気・・・私たち葬儀スタッフは、そういった“現実の隙間”に立ち会ってしまうことがあるのです。
どれも“怪談”ではなく、実際に起こった出来事。
そしてその現場には、私たち“葬儀屋”しかいなかった。
今回は、そんな背筋が凍るような“葬儀屋の怖い話”をお届けします。この夏の熱気を、一気に冷やすような数々の異変。作り話ではありません。
これは、あなたの身にも起こるかもしれない。死のとなりにある現実”です。どうぞ、最後まで目をそらさず、お聞きください。
「葬儀屋さんって、幽霊やお化けをしょっちゅう見てるんですか?」
――時々こんな質問をいただきます。
確かに、葬儀屋というと、毎日のように怪奇現象に遭遇していそうなイメージ、ありますよね。
私自身、特別に何かが見える能力はありませんし、
弊社のスタッフにも霊感が強い人は、ほとんどいないようです。
…ただ――
誰もいないはずなのに、ドンッと大きな音が響いたり、説明のつかない現象がふっと起こることは、確かにあります。
それ日々の仕事の中に紛れ込んでいて、もしかすると、もう“当たり前”になってしまっているのかもしれません。
本日は、そんな私たちが実際に体験した、ぞくっとする話をご紹介します。この暑さの中、ほんのひととき――背筋を冷やしていただければ幸いです。

呼吸するご遺体!?
弊社スタッフNが語る、ある夜の出来事のご紹介です。
あれは、3年前の夏の夜でした。その日は当直の担当で、私は一人、霊安室の見回りに出ていました。時間は深夜2時を少し過ぎた頃。館内はすっかり静まり返っていて、空調の音と自分の足音だけが聞こえるような時間帯です。
霊安室のドアを開けると、ひんやりとした空気が肌にまとわりついてきました。中には、ご遺体がお一人。男性で、おひとり暮らしだった方だと聞いていました。まだ棺に入っていなくストレッチャーに 白い布に包まれて、仰向けに横たわっている 納棺前の状態でした。私はいつも通り、備品の数をチェックして、最後にご遺体の状態を目視しようと、その前に立ちました。
その時です。
白い布の胸からお腹の辺りが ふわっ…と、ゆっくりと膨らんで、そしてしぼんだんです。まるで“誰かが中で息を吸ったり吐いたりしている”かのうようでした。

一瞬、動けなくなり「え?いま、動いた…?目の錯覚?いや。。確かに見た。。。」まるで生きている人の“呼吸”のように・・・背中に汗が噴き出してくるのがわかりました。でも、逃げるわけにはいかない。私はプロの葬儀人です。
恐る恐る近づいて、目を凝らして布とお顔を見つめる。……もう動かない。そのまま、しばらくじっとその場に立っていました。
翌朝、先輩にこの話をしたら、「まれに死後硬直が緩むと、筋肉が動いたように見えることはあるよ」と言われました。死後硬直が緩むとは?人が亡くなった後に 筋肉が硬くなる現象で、その後、腐敗が進むにつれて 一度固まった筋肉が 再び緩む 段階に入る。死後変化の自然な流れのことです。
でも、私は今でも信じています。確かに動いたんです。そして あの夜、彼はこう言いました。
「あの方は、まだここにいたんだと…そう感じたんです。だから私たちは、ただ“ご遺体を扱っている”わけじゃない。その方が残していった何か――想いなのか、記憶なのか――そういうものに、確かに触れているんだと、あの夜思い知らされました。」
わたしは こうした小さな想いを一つひとつ体験し、積み重ねていくことで、葬祭ディレクターは一人前になっていくものだと思いました。
扉が開いた瞬間 “目に見えない存在”を”を感じ取った
あれは、まだ空がほんのり明るい夏の19時過ぎのことでした。その日、私は某 火葬場併設の葬儀式場での業務を終え、戸締まりの最終確認をしていました。
すべてに目を通し、電気・空調・扉のロックまできっちり確認して、廊下の先の事務所まで戻ったところでした。「今日も無事終わったな」と思った瞬間
**ドンッ…!**という、重たい音が閉めたばかりの式場から響いてきました。
それも、何か大きくて硬いものが床に落ちたような、落ちた振動まで感じるほどの 鈍い衝撃音でした。
私は一瞬、凍りつきました。だって すべてのフロアは、私自身が施錠済み。その館内には私以外に誰も居ないはず。
「えっ…?」と思いながら、また式場へ戻りました。そして、鍵を開けて 式場の 扉が開いたその瞬間私は、一気に体がギュッと強ばるのを感じました。
何かが“そこにいる”と、無意識に警戒してしまうような張り詰めた空気。風はないのに、自分の肌にだけ、冷たい膜がかかったような感触。心臓が、ドクン…と、ひとつ跳ねた。
正直、まだ何も見ていないんです。誰かが立っているわけでもない。落ちたものも無いけれど、私の体は明らかに“怖い”と感じていました。

よく言いますよね、“人間の直感は、目よりも先に危険を察知する”って。あの瞬間の私は、まさにそれでした。
式場は、さっき誰もいなかったはずの場所。でも、空気の密度が違う。まるで、誰かが そこに いるような、重たく湿った気配。足が、一歩目を躊躇う。でも、私は葬儀屋です。このホールの責任は私。私がが行わなければ・・・。
深く息を吸って、私は 静かに一礼しました。「失礼します」。彼は更にその瞬間、ほんのわずかに、空気がすっと和らいだ気がしたそうです。
きっと、あの“緊張感”は生きていた“誰かの気配”ではなく、すでに旅立った“何か”が残していった余韻だったのかもしれませんと話していました。
人は、理由のわからない“気配”を感じると、本能的に立ち止まります。これは決して迷信や偶然ではなく、何千年もかけて人間が磨いてきた「危険を察知する感覚」です。私たち葬儀の仕事では、その感覚を無視してはいけないと思っています。それは恐れるためではなく、相手を尊び、場を整えるため。
Nさんが深く一礼した瞬間に空気が和らいだのは、単なる気のせいではなく、その場に“礼”を通わせたからでしょう。葬祭ディレクターは、ただ段取りを進める人ではありません。人が生きた証と、そこに宿る想いに向き合う人です。だからこそ、こうした感覚は大切にすべきだと私は思うのです。
遺体と目が合って、無念さを感じた夜
人は必ずしも、年老いて、子や孫に囲まれ、大往生を迎えるわけではありません。時には、突然に、あまりにも早く、その人生を閉じてしまう方もいます。
あれは、スタッフDが体験したことです。搬送依頼を受け、事故現場からご遺体をお連れしたとき――
その方は、まだ二十歳前の若い男性でした。聞けば、暴走族に入っていて、深夜の走行中に交通事故で命を落としたとのこと。
納棺の準備をしているとき、スタッフはふと、その男性の顔に視線を落としました。
見開いた目・・こわばった口、そして目が合ったときに
「もっと生きていたかった」
「まだ終わりたくない」
言葉ではなく、胸の奥にズーンと 直接響いてくるような、強烈な思いを感じたとのことです。

それは ただの想像とも、霊感とも違うというのです。無念という感情そのものが スタッフの胸に 押し寄せてきたというのです。
Dさんはその場で、思わず 深く頭を下げたそうです。そして静かに声をかけました。
「もう大丈夫です。最後まで お送りしますから。」
私たちは葬儀屋として、亡くなった方を丁寧に お送りしています。けれど、時にこうしてご遺体から、直接その人生の“続きを望む声”を感じることがあります。
彼は あの目の 視線のことは、今でも忘れられないと。。。無念という感情が、亡くなった後もなお、そこに残ることがあるのだと・・・あの日、思い知らされたと言っていました。
だからこそ、私たちは一つひとつのご葬儀を“作業”ではなく、 一つの“人生を締めくくる儀式”として、責任を背負い、心のすべてを込めてお送りしております。そこに手を抜けば、その方の人生は最終章を欠いたまま 時の中に沈み その未完の重みは、葬儀を担った私たちにも、深い悔いとなって残り続けるのです。
私たちは一つひとつの所作に意味を込め、言葉一つ、手の動き一つにも、その方への敬意を映します。大袈裟に聞こえるかもしれませんが それが、二度とやり直せない その方の人生と 葬儀式において、私たちが 果たすべき最大の責任 使命だと考えています。