亡くなった方のお顔の上に乗せる白い布は何の為?何て言うの?

ご遺体をお布団に安置してお着替えを済ませると、お顔の上に白い布をかぶせることが一般的です。このハンカチのような布の正式名称は「打ち覆い」(ウチオオイ)とか、葬儀社によっては「面布」(メンプ)とも呼ぶところがあります。この布の色は白色に決まっています。昔から葬儀には色物を使うことはありませんでした。色のついた染物を使うと、その準備がされていたと捉えられたからです。白布を使うことで「亡くなることは全く想像していなく、急遽白い布を染める時間がとれずにやむなく使いました」という意味合いもあるとのことです。お香典に入れるお札が新札ではいけない理由と似ていますね。新札を使うことは、不幸が来ることを事前に分かって準備していたと印象付けられますが、古札を使えば、「突然の訃報のため急いで準備した」と受け取られるので、あえてシワの入った古札を使う言うのと同じです。昔の人々の考え方には、相手の気持ちを考えて不快にさせないような配慮が、現代よりも十分に行われていたようです。古い札を使うことで、訃報を受け取った人々が、急いで用意されたことに気づくことなく、心を少しでも和ませる努力がされていたのでしょう。

時代や習慣の変化によって、人々の考え方も変わってきますが、いつの時代も大切なのは相手の気持ちを思いやる心と、その場にふさわしい配慮を持ち続けることです。特にお葬式の場では、喪主や家族が心の支えを得られるよう、細やかな気遣いが求められます。そのためには、相手の立場に立って行動し、不必要な心配や負担を与えないよう努めることが大切です。

何故?お顔の上に白い布、打ち覆いをかけるのか?

布団に安置しているときは白い布をかけて顔を隠し、棺に納めた後は布を取って顔が見える状況にします。なぜ死者の顔に白い布をかけるの?と疑問を持つ方もいらっしゃると思います。諸説あるようですが、昔は、お医者様による死亡診断が不十分で、死亡確認が曖昧だった頃は、顔に薄い布をかけておけば、万が一、蘇生して息をし始めたときに、布が動いてわかるからという説です。現在では有り得ない信憑性がない理由です。これ以外に具体的な理由もあります。

避けられない事実として、ご遺体は確実に腐敗していきます。すると顔が変色していき、見た目が崩れていくため、その顔を隠したのです。ドライアイスがなく充分に冷却できなかった時代、遺体の顔色は見る見るうちに変わっていきました。これは昔は現在のようにご遺体の表情を整える技術もなかったからではとも推測します。時として目が開いたままになっている場合などある為、それを怖いと感じ、布で覆い隠したという説もあります。神道の考え方では、白は清浄を意味しており、神道では人の死を穢れとしますが、その穢れを覆うという説などがあります。

こちらが最も有力と思いますが、何より故人の尊厳を守るからという説です。

旅姿の白装束というのは宗教の意味合いだけで語られることが多いのですが、実際はご遺体が変色していく怖さを隠す衣装としての意味もありました。天冠(てんかん)と呼ばれる、額に着ける三角の布があります。幽霊のコントでよく使われていますが、あの布もおでこ全体を隠すように覆います。髪の毛の生え際の変色を隠したのです。手甲、足袋、脚半なども身体の末端部分から起こる肌の色の変化を隠すために覆ったのです。遺体の顔に白い布をかけるのは、腐敗して変色していく姿を、周りの人たちに直接見せないためという理由があるのです。

もっと具体的な説もあります。それは虫です。昔のご遺体安置のお部屋は現代と違い気密性が無く隙間だらけで温度管理も出来ませんでした。ご遺体の口から身体の中の腐敗臭が出てくると、嗅ぎ付けたコバエがたかるのです。顔の上の白い布は寄って来る虫を防ぐ機能がありました。納棺後は虫の被害がなくなるので、顔を覆っていた白布を取ることが出来たのです。

ドライアイスなどでを腐敗の進行が抑えられている現在は、白布の必要性は無くなっています。しかし無くならないのは、何故でしょうか?使用理由にやはり、死者への敬いと尊厳を大切にした経緯があるからだと思います。

『森の風ホール』の葬儀場の安置室でご面会にいらしたご家族がお帰りになる際、白い布でお顔を覆うのですが、その際、
「まぶしいとよく眠れませんからね」とご遺族にお声をかけ、打ち覆いを取り上げ静かにお顔を隠すようにしています。

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